田舎という肉体

 地元の寒村では、荒涼とした土地を朝から晩まで耕してもわずかなヒエやアワなどの雑穀しか実らないので、飢饉というほどでない不作の年であっても役に立たない者から口減らしされていきます。

 まずは年寄りが、そして体の弱い者や無能な者が。

 当時13歳の私は月に10円の小遣いで油紙に包まれたシミだらけの旧い新潮文庫を買い読むことだけが娯楽だったので、これを村という肉体を維持するためのアポトォシスのようなものだと思っていました。

 耕しても耕しても、豊かな恵みを還元してくれることはない土地。この土地の暮らしというものを保つためならば命さえ棄ててしまうのです。夕餉に大根の葉の浮いた海水を薄めただけの汁を啜りながら、この土地に固執することにどんな意味があるのか、と聞いたら父に棒で全身をひどく打たれました。父からの折檻が終わると、いつのまにか土間から姿を消していた母が奥から出てきました。青黒く浮腫んだ顔をした母は当時まだ30の半ばでしたが、酷くやつれて老婆のように見えました。「あんたは頭でっかちが過ぎるよ」母は私の腫れ上がった体を赤チンと油紙で手当てしました。でもこの赤チンだって、油紙だって、我が家の在庫が残り少ないことを私は知っています。「生まれた土地で生きていくしかないんだ」絞り出すように、自分自身に言い聞かせるように母は言います。

 以前、母は自分の母である祖母の手を引いて遠くの山に出かけました。それきり祖母は帰ってきませんでした。これから先も祖母は帰ってこないでしょう。私もいずれ母と同じことをするのかもしれません。この土地に固執することに、本当に意味はあるのでしょうか。飢えに苦しみ、朝から晩まで痩せた畑を耕し、商船を持ち村での富を独占する庄屋の豚小屋の糞拾いをしてようやく幾許かの種籾を手に入れる日々。

 そんな日々に嫌気が差して16になった私は東都に出てきました。通行手形を持たない田舎者の私は何度も憲兵に捕まりかけましたが、そのたびに白痴のふりをしてやり過ごしました。狂人のふりをして大路を走らば……の一節が頭をよぎり、自分が本当は狂人なのではないかと何度も疑い涙しました。しかし、狂人であっても日々の糧を得るために金を稼がねばならないのです。狂人であることはもはやなんの慰めにもなりませんでした。運良く私は下北沢のはずれにあるマッチ工場の女工になることができました。月に10円の私の小遣いをなんとかやりくりして捻出してくれた父と母に毎月200円もの仕送りをすることができます。種籾ぐらいにしかお金を使う場所がない村ですから、お金を貯めれば、数ヶ月のうちに雌鶏を飼うことができるでしょう。卵が毎日食べられたら青黒く浮腫んだ母の血色だって少しは良くなるに違いありません。

 マッチ工場の上司である森元は40過ぎの脂ぎった小男です。よく見れば愛嬌のある顔立ちをしていて、『かわいそうなゾウ』に似た哀しみをたたえた瞳をしています。森元はどうやら私に気があるようです。マッチ工場の仕事に慣れてきたころ、とんちんかんなオシャレをした森元に連れられて行った渋谷のパセラというカラオケ・ボックスのただ甘ったるいだけのハニートーストは、田舎では決して食べられなかったものです。森元に、「こんなおいしいもの、私だけ食べたらお父さんとお母さんがかわいそう。」と言ったら、森元は意を決したように自分のだぶついた首元に下がる似合わない喜平ネックレスを外し、私のあかぎれだらけの手に握らせて「これを売れば3000円にはなるから、そのお金でお父さんとお母さんを帝都に呼んで暮らそう。君の田舎の暮らしはおかしい。」と真剣な眼差しで言うのです。私の視界の端のモニターでは、宇宙コロニーが地球に落ちようとしています。

 私は地元が嫌いです。今すぐにでも滅べばいいと思っています。ただ、父と母はすっかりあの土地という肉体の一部になっていてもし切り離したならたちまちに死んでしまうだろうと想像するのです。